オデュッセイアを観た②

オデュッセイアを観た②

※ネタバレややあり...?
クリストファー・ノーラン監督の映画「オデュッセイア」感想②です(興奮して長くなりました)

映画の中での一つの重要なモチーフが、見知らぬ旅人や客人を平等にもてなす客人歓待の絶対的な宗教規範である「ゼウスの掟」です。
3000年語り継がれてきた叙事詩なので当然膨大な研究も考察もなされていますが、この「ゼウスの掟」に関連して、2026年の今これが上映されることの意味もあるように思えました。

「ゼウスの掟」における「見知らぬ旅人は、姿を変えた神であるかもしれない」という信仰と、それが担保していた道徳や規範が、当時の文明社会の人間的な基礎を支えていたように見えました。
映画の中でも頻繁に「ゼウスの掟」のもと客人を歓待するシーンが描かれ、それを起点に物語が進んでいきます。

オデュッセイアは、この「ゼウスの掟」という約束に基礎付けられた人間性が崩壊して、文明に暗雲立ち込める時代に移り変わっていく転換点の、スナップショットの記憶のように感じられました。

神への信仰に担保された人間の間の信頼と約束を反故にして抗い、苦難に対して自らの身体で自由を切り拓いていく人類の曙の話でもあり、知恵と自由の裏で疑心暗鬼と暴力が蔓延る文明の暗黒期の端緒としての失楽園的な話でもあるように見えました。

主人公のオデュッセウスは、トロイア戦争で「トロイの木馬」作戦を立案・指揮してギリシアを勝利に導いた智将としてよく知られていますが、この文脈では「ゼウスの掟」を逆手に取り、人間性を裏切って戦争に勝ったとも見られます。
この意味で、オデュッセウスは知恵と勇気と忍耐を兼ね備えた人間であると同時に、神との約束を破って人間性を貶めた原罪を背負った人物でもあるように思えました。

見知らぬ他者への不信、分断、制度への信頼の摩耗などの中で人間性がすり減っていくような2026年現在にこれが制作・上映されることは、この意味でかなりタイムリーな意義があるなと感じました。
クリストファー・ノーラン監督自身の動機や、この映画が今この現代においてどう受け止められるのかは、この時代のかなり面白い写し鏡なんじゃないかと思います。

FIRST CLASS
佐伯 渉(さえき わたる)