第一回はこちら。
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ホラーの初体験を問われたら『チャイルド・プレイ』と答える。小学2~3年の頃、母が見ていたものを(警告を無視して)覗いてしまった。それから長いあいだ、ナイフを手にした人形の悪夢に悩まされることになった。
一方、ホラーの原体験を問われたら迷わず『リング』と答える。中学に上がったばかりの頃、家の書棚での出会いだった。背筋を凍らせながらもページをめくる手は止まらず、このとき「怖い」は「面白い」のだと知った。
また『リング』はミステリーとしてもすぐれている。主人公は呪いの仕組みや貞子の正体――つまりは「謎」を追い、その解明を試みる。解明の過程で恐怖は増幅していく。ホラーの多くはこのようなフォーマットを持つ。
恐怖を解消するための行為は、恐怖をつぶさに知っていく行為でもある。知って「しまった」ら、知る前には戻れない。その不可逆な性質があるから、かえって知らないほうがよかったという展開が往々にして起こりうる。
先日読んだ『夢詣』もそういう作品だった。こちらはビデオではなく夢だ。ある夢が呪いとして伝播していく。それを見た者は八日ほどで死に至る。呪いの拡散、そして死のリミット。誰もが『リング』を想起するだろう。
主人公らは自身を救うために奔走する。状況を整理し、協力を仰ぎ、情報を集め、関係する者や土地を訪ねる。そうして呪いを明かしていく。しかし、上述したように「明かしてなお」なのだ。そこが推理小説とは異なる。
ホラーに惹かれるのは、そういった救いようのなさが根底にあるからだ。怪異に遭ったり霊に祟られたりというのは、原因があるにせよないにせよ、その理や存在そのものに理不尽さがある。そんなものあるなよ。という。
つまり、人間の及ばない領域を描いていることが魅力なのだと思う。知や善といったものが救済の保証にならない。私たちが持つ「世界は理性で理解できる」という思い上がりを否定してくれることが気持ちいいのだろう。
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『リング』はSFに傾いていきますが、『夢詣』は……
FIRST CLASS 皆川 律