皆川律として一年六か月が経った。季節は二周目の秋に停留している。冬に至るまでまだ何駅かあるように思えるが、ぼやぼやしているとあっという間に降ろされてしまう。そこから春へは自らの足で向かわねばならない。
春、つまり二年目を迎えるにあたって不安がないわけではない。まず冬が怖い。去年の歳寒を変調なしで越せたのは運が良かっただけな気がする。予定に助けられていた部分も大いにあるから、今行うべきは計画だろうか。
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一年前の今ごろを振り返ってみると、理由を見つけたり自分を見つめたりするのが好き、というようなことが書いてあった。見つからない理由もあれば見ていられない自分もいるが、この心性は死ぬまで変わらないと思う。
人は強くないから、自分を正しく動かすのによりどころを必要とする。それは信仰や思想だったり、使命や他者だったりする。僕の場合はそれが「自己理解」で、要は自身の操縦マニュアルが欲しいということなのだろう。
ある外的な事象に対して自分の内面はこのように反応する、というような解明がなされていれば、自分を適切に動かす助けとなる。その蓄積の先には自己統治、つまりは自律がある。いまだ辿りつけない未踏の領域である。
そうした背景があるから、律という名は励みになっている。いつかこれを手放すときが来ても、真名のように心にあり続けると思う。憧れや戒めを込めた名に今は愛着が加わった。一年半という歳月はそういうものらしい。
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FIRST CLASS 皆川 律