先月から始めた夏詣。
気づけば、
一か月以上毎日神社にお参りする習慣が身についてしまった。
詳しくは、
7月21日の秋山日記をご参照いただきたい。
秋山は神社で何を祈っているのか。
気になりますよね。
気にならないと言われても、
書きますけどね。
実は、
手を合わせて考えているのは、
自分のことではない。
その日に浮かんだ誰か一人。
その人が喜んでいる姿を、
勝手に想像する。
ただ、それだけ。
いつから秋山は、
こんな他己主義的な人間になったのか。
という議題はいったん置いておく。
この習慣で面白いのは、
誰かの幸せを願うこと以上に、
「自我を忘れる時間を意図的につくる」
ということ。
日常は、
思っている以上に自分で埋め尽くされている。
自分の仕事。
自分の予定。
自分の悩み。
自分がどう見られるか。
自分はどうしたいのか。
自分、自分、自分。
別に悪いことじゃない。
自分の人生なんだから、
当たり前。
でも、
一日のほんのわずかな時間、
自分から自分を退場させてみる。
自らを空っぽにする。
名付けて、
『自空』
神様がどう思っているかは、
知らない。
でも少なくとも、
今の俺にとってのお参りは、
お願い事をする場所ではない。
自分を空にする場所。
『自空』
2026年の流行語大賞に、
誰かノミネートしてくれ。
……自我、帰ってくるの早いな。