"relate"という語は、ラテン語のre-(基準に照らして)とlātus(運ばれた*)に由来する。*lātusはferō(運ぶ)の過去分詞形。つまり、ある形で置かれた内容を、ある枠組みに照らして提示するという行為を指す。
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何か出来事があり、それが見聞きした者の中に記憶として運ばれ、ある位置づけをもって他者に差し出される。「報告する」という意味はこのようにして成り立った。「(物語を)話す」の成立も同様となる。
では「関連づける」という意味はどのように起こったのか。こちらは、独立する対象Aが、別の対象Bを基準に位置づけられるイメージとなる。配置されたAはBに照らされ、ここに様々な関係が立ち上がる。
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常々、言葉には限界があると感じる。万全な語彙を備え、それらを適切に運用できればと誰しも一度は願うだろうが、できてなお、意思伝達にはズレが生じる。人と向き合うとはこの苦悩と向き合うことだ。
デリダはこれを「差延」と呼び、コミュニケーションの動力とみなした。もし伝達が完全におこなわれるなら、解釈や応答は不要になるからだ。私たちが感じる隔たりは、それ自体が交流の条件となっている。
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AとBのあいだが一致か断絶したとき、両者の関係は消失する。であれば「関係する」双方において、あいだの距離そのものを「応答を要請するもの」としてみとめることが、関係を継続させる第一歩となる。
あいだを埋めず、保ったまま編んでいく。ほつれは編み直せばいい。放棄されずして続けられた応答は、やがてパターン(模様)を作っていく。そう考えると「間柄」とはなんとお誂え向きの言葉なのだろう……
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実は柄シャツ好きです。
FIRST CLASS 皆川 律