SNS審査と自由社会の危機

2025.06.20
SNS審査と自由社会の危機

今朝,朝日新聞「米、学生ビザ面接『近く再開』 申請者にSNS公開求める」というニュースを目にして,結構びっくりしました。
しかし,思ったよりリアクションが少なかったことに違和感があったため,この違和感を言語化することにしました。

■本論
 SNSは本来,個人が自由に思想や感情,趣味や交友関係を表現する場である。たとえ公開されている情報であっても,それを国家が「提出せよ」と命じ,審査の材料とすることは,思想・表現の自由,プライバシー権,内心の自由といった基本的権利に対する重大な干渉である。

もちろん,SNSが誹謗中傷や犯罪の温床になることもある以上,一定の対策は必要である。しかし,それはあくまで具体的な被害や違法行為に対応するものであり,「事前審査」や「思想査定」として個人の発信を扱うことは,検閲に等しい。さらに深刻なのは,このような制度が,自由と民主主義の象徴とされるアメリカにおいて,正当な政策として制度化されている点である。アメリカにおける制度は,他国にとっての前例・参考事例となることが多く,静かに世界中に波及していく可能性を秘めている。

 もし日本において同様の制度が導入されたとすれば,どうなるだろうか。ある人がSNS上で「現政権に不満を抱いている」と発言していたことを理由に,奨学金の審査で不利になったり,公営住宅の入居を断られたりするようなことが現実になるとすれば,それはもはや自由な社会とは言いがたい。

■結論
 私たちは,自由な社会に生きていると信じている。しかし,その自由が目に見えないかたちで制度に組み込まれ,「思想や嗜好の内容」が評価対象となる社会へと移行していくとすれば,それは本当に自由な社会と言えるのだろうか。
SNSという,個人の内面がにじみ出る空間を,公的制度の判断材料とすることの是非について,わたしたちはいま,問い直す必要があるのではないか。