2026.02.11
雲

一日置いたが、何も熟成しなかった。こういうときはおとなしく観念するのがよい。いくら頭を捻ったところで降ってこないものは降ってこない。とはいえ「ではお休みします」と言うわけにもいかないから、書く。

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降るといえば、今年はまだ雨を見ていない。記憶違いであってくれと願いつつ気象庁の期間合計降水量を参照したところ、直近45日間で0.5mmという衝撃の数値が表れた。同時に、明日は雨という予報も目に入った。

空も生みの苦しみがあるだろうか。地上に恵みをもたらしたい気持ちはあれど、思うように雲が発達せずやきもきするような。連日の朔風がそのフラストレーションによるものだとするなら、些か酌量の余地もある。

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雲が育つには水蒸気が必要で、水蒸気は地表や水域が太陽の熱を受けることで発生する。つまり水気のある場とそこに注ぐ光が初めになくてはならないが、今、頭の中にそれらしき二つは見当たらない。乾き、暗い。

まあ、光に関しては不意に差し込むこともあるだろう。肝心なのは、その熱に反応する水分をたくわえられているかどうかだ。枯れ地に太陽があらわれても不毛だから、内面の豊饒さを保っていなくてはならない。

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芥川龍之介は幼いころ、雲を「美しいと思うもの」とした。担任教諭は、他の子どもが「花」や「富士山」といったものを挙げるなかで発せられた変哲のない答えを叱責し、それが書かれた紙にバツをつけたという。

だが、実のところ「美しさ」は(同様に「面白さ」や「切なさ」なども)対象に宿るものではない。それを覗き見る者の心に宿る。優れた感受性の持ち主は平凡なものにも何かしらを感取する。幼き芥川のように。

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この二日間、光が差した瞬間は少なからずあったのだと思う。こちらの感受性がそれを見出せなかっただけのことで、何かが生まれるチャンスはいくらでもあった。そもそも、ずっと照らされている可能性すらある。

では、それに気づくには……という話になってくる。余命宣告を受けでもすればたちまち世界が一変して見えるだろうが、おそらくそういうことではない。もっと自発的に物事を捉え直す必要がある。そのためには……

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「してないけどいつでもできること」をする、というのはどうだろう。たとえば、道端に咲く花の名前を調べてみたり、公園で深呼吸をしてみたり。別に閉じたままにしておく理由もないふたを、開けていくような。

なにも芥川のような感性を目指そうというわけではないのだから、凡人なりに、今ある生活を感じ尽くさないといけない。それはきっと、降り注ぎ、散らばっているのに見向きされなかったものたちであふれている。

FIRST CLASS 皆川 律