戦略恋愛:第3話

戦略恋愛:第3話

第3話
チェックメイト
 
 
大晦日が近づくと
仕事の空気が一気に静まる
 
いつもの喧騒がピタッと止まったみたいで
そのぶん自分の思考がやけに響く
 
 
午前中に少しだけ仕事を片付け
家の整理をしようと手帳を開くと
数ヶ月前のメモが出てきた
 
 
“逃げ道を先に作ると
 弱点も先に見えるよ”
 
 
その文字は彼に言われた言葉を
その日に書き写したものだった
 
不意打ちみたいに胸がざわつく
 
 
あの頃のあたしは
彼に読まれたくなくて
 
でも読まれるのが妙に心地よくて
その矛盾全部をメモに閉じ込めていた
 
手帳を閉じようとすると
ページのすみに自分の走り書きが残っていた
 
 
“あの人、チェックが早い”
 
 
思わず声が漏れる
 
チェック
確認
追い詰める手
詰みの一歩手前
 
あたしが意図を隠そうとしても
呼吸のリズムや
目線の揺れですぐ見抜かれた
 
 
“今の黙りかた
 動揺してる時の癖だよ”
 
 
その記憶が蘇る
彼の声はない
でも言葉だけが
冬の空気の底から浮かび上がってくる
 
 
今日は他に予定もない
コーヒーをタンブラーに淹れて
軽く外に出てみる
 
 
年末の街は相変わらず人が多い
そのざわめきの中
デジタル看板の広告が目に入った
 
 
“関係を決めるのは
 最初のチェック”
 
 
キャンペーンのキャッチコピー
恋愛の宣伝文句
 
普段ならスルーする
でも今日はその“チェック”の文字が
やけにあたしの脳を刺激した
 
相手を観察する、チェック
そんな関係、メイト
 
 
この街、彼の言語で組まれてるの?
さすが本業が広告代理店様って感じ?
まあ本当かどうかは知らないけどさ
 
と頭の中で会話を重ねながら
内心はもう複雑
 
 
コーヒー片手に歩いていると
本屋の前に人だかりができていた
様子を覗くと雑誌の特集タイトルが目につく
 
 
“心理戦のすすめ
 読み合いは技術で磨ける”
 
 
まただ
こういう日ってあるのかな
自分の世界に外の情報が溶けてくる日
 
ページをめくると
“相手の癖を読む時
 呼吸の間が一番ヒントになる”
と書かれていた
 
あたしは笑ってしまう
彼が言ってたこととほとんど同じ
 
偶然の一致なのに
偶然とは思えない
 
まるで
“詰んでないよ”
って誰かが囁いてるみたいで
心が少しだけ軽くなる
 
 
帰宅し、ふと予約ページを開く
相変わらず満枠
 
分かってる
会うつもりなんて
本当に決めたわけじゃない
ただ状況を確認しただけ
 
 
“チェック”
これはただの確認
それ以上じゃない
 
でも画面の“満席”の文字を見て
胸がきゅっと掴まれる
 
 
“メイト”
外注先だけの関係のステータスに
どうしてここまで揺らぐのか
 
恋なのか
戦略の余韻なのか
そこを決めるのはあたしの役目なのに
今日はどうしてか判断できない
 
 
コートを脱いで
部屋の灯りを落とし、ベッドへ横になると
静寂が心の揺れを拾い始める
 
 
“チェックメイト”
詰み
そう思い込めば全部片付く
 
でも彼との読み合いは
いつだって
 
“詰みに見えても動けば続く”
 
というルールで成立していた
 
あたしはそのルールを
まだ捨てられていない
 
 
目を閉じる直前、呼吸が少しだけ
あの頃のリズムに戻った気がした
 
その瞬間
心のどこかがかすかに灯る
 
まだ負けじゃない
まだ止まっていない
詰みかけているだけで手はある
 
彼の手か
あたしの手か
どちらが先でもいい
 
盤面に戻る一手は
きっとまだ残っている
 
 
そして
この日のあたしは
その一手が新しい年の始まりに
そのまま繋がるなんて
想像すらしていなかった
 

 
  
次回
「初手」に
つづく