
今日は、人の意識について、前から気になっていたことを書いてみたい。
人はふだん、顕在意識──自分で考えたり判断したりしている部分──を使って生きている。
でも本当は、その奥にある潜在意識の方がはるかに大きく、気づかないうちに行動や気分を左右しているらしい。
たとえば、朝起きて無意識にスマホを手に取ること。
道を歩いて「なんとなく」選んだ曲がり角。
自分では選んでいるつもりでも、深いところで積み重なった習慣や経験が舵を切っている。
そしてごく稀に、こんなところで絶対に会うはずがない知人とばったり出会うことがある。
あれは単なる偶然なのか。
それとも、目に見えない意識の糸が交わって、その時間、その場所で僕らを出会わせているのか。
夢の中でも、潜在意識は姿を現す。
昼間の出来事が断片的につながったり、忘れていた記憶が突然浮かんできたり。
「なぜこんな夢を見たんだろう」と思うときほど、心の奥にしまわれた何かが顔を出しているのかもしれない。
臨死体験をした人が「走馬灯のように記憶が流れた」と語るのも、潜在意識に刻まれた膨大な記憶が一気にあふれ出すからだろうか。
普段は顕在意識の奥に沈んでいるものが、極限の瞬間に一斉に解き放たれる。
そこには、人間の意識の奥行きを垣間見るような気配がある。
そして考える。
人の意識は、死んだらどうなるのだろう。
脳の電気信号とともに消えるのか。
それとも潜在意識の奥に残った何かが、どこかに受け継がれていくのか。
答えはわからない。
けれど、今をどう生きるか。
どんな言葉や景色や人との時間を自分に刻むか。
そのひとつひとつが潜在意識に積み重なり、未来の自分を形づくり、最後の瞬間まで寄り添ってくれるのかもしれない。
FIRST CLASS
松風 慎二