ビタミンL仮説

2025.06.16
ビタミンL仮説

1.はじめに
 私たちは日々,「ビタミンAが足りない」「ビタミンCを摂らなきゃ」といった言葉で,身体の状態を気づかい,栄養の摂取を意識しながら生活している。しかし一方で,「愛されたり」「抱きしめられたり」「優しく求められたり」することは,心にとっての〈栄養〉とみなされることは少ない。もしかするとそれは,まだ名前を与えられていないだけであり,実際には心にとって必要不可欠な〈見えないビタミン〉なのかもしれない。
 本稿では,「愛情」「ぬくもり」「安心感」といった心理的なつながりを,あえて「ビタミンL(Love)」と呼び,身体のビタミンと同様に,摂取量・効果・副作用の観点から仮説的に整理する。

2.ビタミンのはたらき
 ビタミンとは,体内で合成できないものの,生命活動を維持するために欠かせない微量有機化合物である。ビタミンCは抗酸化作用によって細胞を守り,ビタミンB群は酵素の補因子としてエネルギー代謝や神経伝達を支える。こうしたビタミンの本質は,「外から得られたものが,体内の化学的変化を通して,身体の調整機能を担う」という構造にある。この構造に注目すれば,愛情やぬくもりといった〈こころの反応〉も,体内の生理反応を通じて心身を支えるという点で,ビタミンとよく似た性質を持っていると考えられる。

3.ビタミンLの定義
 本稿では,「ビタミンL(Love)」を以下のように定義する。
ビタミンLとは,人との関係性から得られる心理的ぬくもりや愛情的つながりであり,その摂取が心身の安定・回復・成長に寄与する,心的栄養素である。
 ビタミンLは,特定の物質として存在するわけではない。しかしそれは,オキシトシン,セロトニン,ドーパミンといった内的なホルモンや神経伝達物質の変化を誘発し,ストレスの軽減,安心感の促進,免疫機能の調整といった生理的効果をもたらす。すなわち,愛されることによって起こる「体内の変化」こそが,ビタミン的な作用を果たしているのである。

4.ビタミンLの摂取量モデル
 ビタミンLも,他のビタミンと同様に,過不足が問題を引き起こすと考えられる。ここでは仮説的に,ビタミンLの摂取量と心身の状態との関係をモデル化する(表1)。

■表1. ビタミンLの用量反応モデル
【欠乏(0~29%)】孤独感,不安,情緒の不安定(愛情の不足による心の渇き)
【適量(30~70%)】安心感,幸福感,信頼(心の代謝が健やかにまわる状態)
【やや過剰(71~110%)】多幸感,依存傾向,没入(心地よいが揺らぎを含む)
【慢性的過剰(111%以上)】束縛感,自己喪失,関係疲れ(過剰な愛情が心を重くすることも)

このようなモデルを用いることで,「愛情が必要かどうか」という二択ではなく,「どれくらい,どんなかたちで受け取るか」という視点が生まれる。これは,個人の心の健康を考えるうえで,より繊細で現実的な枠組みとなりうる。

5.心と身体を支える実践知
 心理学・生理学の領域においては,アニマルセラピーや育児における身体的接触,信頼関係を土台とした関わりによって,ストレスホルモンの低下や幸福感の増加が起きることが実証されている。こうした実践は,「愛される」「抱きしめられる」といった経験が,内的な調整機能を持つ〈こころのビタミン〉として作用していることの証左ともいえる。私たちは,誰かとの関係性のなかで,無意識のうちに「ビタミンL」を摂取しているのかもしれない。

6.おわりに
 愛されること,抱きしめられること,そして,安心して甘えられること。それらは決して,贅沢でもわがままでもない。こころが〈生きていく〉ための,もうひとつの栄養である。しかしどの栄養素にも適量があるように,ビタミンLも,その人に合った量と距離で届けられることが望ましい。過剰な干渉は苦しみを生み,不足は枯渇をもたらす。「ビタミンL」は,いまだ教科書には載っていない。だが,それは存在しないのではなく,まだ,名前が与えられていないだけなのかもしれない。
 この仮説が,誰かの心の渇きをことばに変え,やさしく,必要なだけのぬくもりを届ける〈こころの栄養ガイド〉となることを願っている。

7. 限界
 ビタミンL仮説は,愛情やぬくもりをビタミンになぞらえて心の栄養と捉える独自の枠組みだが,こうした心理的要素は物質とは異なり,摂取量や欠乏を客観的・定量的に測定することができない。そのため,科学的な厳密さや再現性に乏しく,あくまで比喩的なモデルにとどまるという限界がある。
 また,オキシトシンなどのホルモン分泌と心理的効果の関係性については一部で示唆されているものの,その因果関係や普遍性には未解明な部分が多く,個人差や文化的背景による影響も大きいとされている。したがって,ビタミンL仮説は心の健康を考える一つの視点にはなり得るものの,科学的根拠に基づく普遍的な理論としては慎重な扱いが求められる。