『肩書きを外したら』

『肩書きを外したら』

最近、仕事で初対面の人と話す機会が増えた。
そのたびに思うのは、
相手が僕を「どんな立場の人間だと思うか」で、
接し方が変わるということ。
それは人間として自然な反応だと思う。

けれど、
もし肩書きや年齢を一度外してしまえたら。
もっと素直に、もっと自然に、
お互いの「中身」に触れられるのではないか
と感じる瞬間がある。

もちろん、仕事上の距離感があるからこそ、
余計な部分を見ずにすむという良さもある。
必要以上に踏み込まず、
役割としての関係性を保てるという安心もある。

でも結局のところ、
その人がどれだけ成果を出していても、
逆にどれだけ大きな失敗をしていても、
その評価と「人としての価値」は
切り離して見るべきだと思う自分もいる。

華やかな結果の裏に、
泥臭く努力を積み重ねた人。
目立った功績がなくても、
誰より誠実に働いている人。
そういう姿がふと見えたとき、
僕はその人を陰ながら応援したくなる。

肩書きを外して、人間性を見る。
結果も大事だが、積み重ねる姿勢にも目を向ける。
その部分を意識的に見られたとき、
ようやく「人として向き合えている」と思える。