『映画』

『映画』

映画館の暗闇に身を沈めると、
現実との境界がゆっくり曖昧になっていく。

家でも映像は観られる。
音も画質も十分に整っている。
それでも、
あの大きなスクリーンの前に座ると、
まったく別の体験になる。

逃げ場のない没入。
光に包まれながら、
数時間だけ他人の人生を生きる感覚。

考えてみれば、
僕らの毎日も似ている。

特別な出来事ばかりが
人生をつくるわけじゃない。
駅まで歩く朝。
意味もなく残った言葉。

あとになって振り返ると、
何でもない一場面が、
妙に鮮明なワンシーンとして残っている。

生きている最中、
自分が物語の中にいることには気づかない。
ただ交わした会話も、
選ばなかった選択も、
編集されないまま積み重なっていく。

人生は、
意味を急がない未完成の映画なのかもしれない。

伏線だと思っていなかった出来事が、
何年も経ってから
静かに繋がる瞬間がある。

演じているのか、
ただ生きているのか。
たぶん、その答えもいらない。

その場面にいること。
感じて、通り過ぎること。

スクリーンの光が消え、
エンドロールが流れる頃、
「ああ、悪くない映画だったな」
そう思えたら十分だ。

人生はまだ上映中。
だから、もう少しだけ席に座っていたい。