どれだけ忙しく動いていても、
ふいに静けさが戻ると、
胸の奥にかすかな孤独が顔を出すことがある。
その孤独は悪いものじゃない。
僕はむしろ、
それを「筋肉痛」のようなものだと思っている。
避けられないし、少し痛む。
けれど、その痛みを越えた先にしか、
本物の「手応え」は生まれない。
人は動いている間、あまり迷わない。
学んでいるときも、不思議と不安は薄れていく。
何かに向かっている最中は、
心に余計な隙間が入り込む暇がないからだ。
ただ、
不安を埋めるための行動と、
前に進むための行動は、
似ているようでまったく違う。
前者は「安心」で終わり、
後者は「充実」を残していく。
安心は案外すぐ消えてしまうが、
充実はあとに深い余韻を残す。
それは、誰かの役に立てた日の満たされ方に近い。
孤独を避け続けていると、
ずっと安心のループから抜け出せない。
でも、その孤独を一度受け止めて、
越えていこうと少しでも動いたとき、
達成という「もう一段高い景色」に触れられる。
孤独は、止まっているときにだけ痛む。
だから今日も、ゆっくりでも前に進めばいい。
その先にある静かな充足のほうへ。