 
                                    京都の交差点のことを、ふと思い出しました。
僕は大学の4年間、京都に住んでいました。
あの頃、毎日のように歩いた道や、何度も通った通りの名前は、今でもはっきり覚えています。寺町通、河原町通、御池通、三条通…言葉だけで当時の景色が立ち上がるから不思議です。
京都って、待ち合わせの仕方も独特なんですよね。
「三条寺町」「河原町御池」のように、縦の通りと横の通りの名前を重ねて交差点を指定する。
最初は「そんなに正確に言う必要ある…?」と思っていたのに、気づけば自分も当たり前のようにそのやり方で友達を呼び出していました。
“交差点=座標”みたいな感覚がどこか心地よくて、予定を立てるだけで少し賢くなったような気持ちになっていました。
そして京都の面白さは、通りごとの“色”がはっきりしているところでもありました。
古着屋が集まる通り、ブランド店が並ぶ通り、美味しいご飯屋さんが多い通り…。
同じ「待ち合わせ」でも、指定された交差点によってその日がどんな空気になるかが変わるんです。
友達が「寺町で集合ね」と言えば、きっと古着を見たい気分なんだろうな、とか。
「河原町御池なら、今日はちょっと贅沢するつもりかな」とか。
待ち合わせ場所に、その人の趣味や気分が自然と滲み出るのが面白くて、好きでした。
交差点はただの場所じゃなくて、その日の時間の“入口”みたいなものだったと思います。
今でも、ふと名前を聞くだけで心の地図が開く。そんな街です。
FIRST CLASS
伊丹 夕季(いたみ ゆうき)
 
					 
                        