『大人の無価値は子どもの価値』

『大人の無価値は子どもの価値』

朝、公園を歩いていると、
保育園の子どもたちが
先生と一緒に地面を見つめながらはしゃいでいた。
何をしているのかと思えば、
夢中でどんぐりを拾っている。

大人になってから、
どんぐりを拾うことなんてまずない。
なぜだろう?
価値がないからか。
それとも、そもそも視界に入っていないからか。

地面をよく見れば、
そこには無数のどんぐりが落ちている。
けれど大人の目は、
スマホの画面を見て今日を生きることを忘れている。
その瞬間の「旬」を見逃しているわけだ。

どんぐりは年中あるわけじゃない。
それはまるで、季節限定の小さな奇跡。
価値があるかどうかなんて関係なく、
子どもたちはただ夢中で拾う。
それだけで、心は豊かに育っていく。

大人は、つい「何の役に立つか」
で物事をはかってしまう。
でも本当の豊かさは、そればかりではない。
一見役に立たないものを楽しむ余白を、
いつまでも忘れずに持っていたい。

子どもたちが夢中でどんぐりを拾う姿を見て、
俺も少しだけ立ち止まった。
そして思った。
俺も、生き生きとバ〇ナを収穫しよう。
あ、でもバナ〇は生きるために必要な食べ物だったね。
大人の邪念は恐ろしい。
まだまだ、俺の修行は続くようだ。