
最近「私、褒められて伸びるタイプなんです」
なんて言葉をよく耳にする。
その気持ちはわかる。
褒められた方が心地いいし、
誰だって否定より承認を求めて生きている。
けれど、同時に思う。
叱る大人が激減した社会で、
本気で誰かの成長を願う人は
果たしてどれくらいいるんだろう、と。
「叱る」ことは、他人に対する愛情の表現でもある。
その瞬間は嫌でも、時間が経つと、
叱られた記憶ほど鮮明に残っているもの。
むしろ、叱ってくれた人の方が、
心のどこかで清々しく思い出される。
叱るには覚悟がいる。
相手を本気で想っていなければ、できないことだから。
一方で「怒る」という行為には、
単なる感情の爆発という側面がある。
たしかに、感情をぶちまけるだけでは生産性はない。
けれど、怒りを完全に抑え込むのも違う。
怒りは、行動の原動力にもなる。
理不尽に対して立ち上がる力も、自分を変える瞬発力も、
その根底には「怒り」があることが多い。
怒りは悪じゃない。
むしろ、感情を真っ直ぐに感じ取れる人ほど、
生きる熱量が高い。
問題は、そのエネルギーをどこに向けるか。
人を攻撃するためではなく、自分を磨くために使えたら、
怒りは最高のバイタリティーになる。
感情を出すことを恐れる風潮が、たしかにある。
でも、感じることをやめた瞬間に、
人は鈍くなっていく。
大切なのは感情を押し殺すことじゃなく、
どう扱うか、どう昇華するか。
叱る愛も、怒る情熱も、
どちらも本気で自分や他人と向き合う姿勢から生まれる。
きれいごとじゃなく、
誰かに本気で向き合うときがあっていい。
優しさの中に厳しさを。
怒りの中に愛情を。
自分の感情に真正面から向き合い、
そのバランスを取れる人こそ、
信頼される大人だと思う。