潮の匂いと記憶

潮の匂いと記憶

今日は、防大1年の登竜門である、東京湾8km遠泳の話を少し。

僕は金槌だった。
入学前にちょっとだけ平泳ぎを練習したけど、全然泳げるようにはならなかった。

25mの泳力テストで落ちて、赤帽子の補講組に。
授業が終わったら毎日プールでひたすら練習していた。

教官も同期も、うまく泳げないからといって見捨てることはなかった。
できるまで付き合ってくれた。だから続けられた。

本番の海は別世界。
鼻を突く潮の匂い。白クラゲに赤クラゲ。
「赤クラゲ注意!」と声を掛け合いながら、ただひたすら前へ進む。

途中、補給船から投げ込まれるゼリーや乾パンを掴んで、海水ごと飲み込む。
空になったゼリー容器に空気を入れて、海パンに仕込んで浮力に変える。必死だった。

残り1km。体力は限界。
腕も足も動かなくなって「もう無理だ」と思った瞬間──。
後ろから同期が足を掴み、強引に前へと押し出してくれた。

その力に背中を押されて、なんとかゴールに辿り着いた。
涙も汗も海水も混ざり合い、顔も心もぐちゃぐちゃになっていた。

潮の匂いを嗅ぐと、あの日の記憶が鮮明に蘇る。
海は今でも好きじゃない。
でも、水中で押し出されたあの感覚だけは、今も体に残っている。

FIRST CLASS
松風 慎二