
こんにちは。近衛いとまです。
さて前回は小休憩という事で、「皆様に知っていただきたいこと」について書かせていただきました。
今回はまた戻り、【近衛いとまの歴史】についてお話していこうと思います。
それでは早速になりますが 〜スタート〜
そんなこんなで迎えた受験期。大学受験になります。
今までの近衛いとまのイメージとしては「ポンコツ」だったかと思います。
それは引き続きそうなのですが (そうなんかい)、お勉強に関しては、とある人との出会いで劇的に変わる事になります。
近衛少年は引き続きお勉強が大嫌いで、中々手が付けられません。そんな状態である”不思議な塾”に出会います。兄の勧めもありました。
ちなみに今触れましたが、近衛いとまには兄がいます。それが実は、近衛とは打って変わって、めちゃくちゃ優秀なんです。
中学時代はオール5で、高校時代も理系の特進クラスでした。特に物理が得意で、模試で偏差値80を取った事もあるくらいの秀才でした。
絵も非常に上手く、楽器も弾く事が出来、芸術的センスもある人でした。
彼は東大を受験しましたが、落ちてしまい、滑り止めの慶應に進み、院まで行きました。
しかしそこでもずっとオールA。
私の足元にも及ばない、まさに努力の人でした。
さて、話を時系列に戻しまして。
そんな近衛少年は兄の勧めもあり、その不思議な塾に入ります。そこの塾はなんと、「手ぶら」で良いのです。アパートの一室なのですが、内装がジブリの様な、ディズニーの様でもある、不思議な空間でした。
そして渡された「中学の教科書」。
ん?大学受験だよな?そう思いました。
ただそう感じたのも束の間、その後は音読のオンパレード。
びっくりしました。一切書かない。ペンを持たない。
ただリラックスさせた脳に、音読で叩き込む。
そういう理論のようでした。
その塾は個人経営で、その方一人でやっておられました。某大手塾で”スーパー東大進学クラス”を教えていたその方。
50代くらいの女性の方でピンクが大好きで、全身ピンク。ダンスを踊り始めるのではないかと思うくらいエネルギッシュ。
そして一切、怒らない。
ここがポイントでした。本当に一切怒りませんでした。
塾に行くのが面倒で、夜7時からなのに毎回9時に行っていました。しかし怒らない。優しく出迎えてくれる。
そしてお菓子やら何やら毎回頂き、ゆっくりティータイム。漫画もたくさんあり、好きものを読む事が出来ました。
勉強している実感がまるでありませんでした。
しかし3ヶ月で偏差値が20も上がっていました。
先生は、「偏差値20くらい上がるの普通よ」とニコニコしていました。
この様な流れで近衛少年は無事、ギリギリのところで大学受験が出来るレベルまで辿り着くのですが、
その中でも一番伸びたものが英語でした。
ここで米国の大学進学の話が出てきます。
日本の大学も受験したのですが、英語が得意になった事もあり、この頃に米国の大学も意識する様になります。
「何か最先端のものを英語で学びたい」
「社会人になる前に一度勝負に出たい」と思い、最終的に米国の大学進学に至ったわけです。
ちなみにこの時、米国で学びたかったものは、
「コンピューターサイエンス」。
プログラミングやAIなどを学ぶ分野です。
しかし結果的には、心理学に惹かれて心理学部で卒業します。
この辺りのお話はまた次回〜!それでは。
FIRST CLASS
近衛 いとま